empopo’s blog

海外支援の雑貨ショップ、empopoのブログ

empopo前史【バングラデシュ編】:マザーハウスの工場へ

こんにちは、empopo代表のYukiです。

これから何回かにわけて、ぼくがempopoを設立するまでの過程を「empopo前史」として書き綴ってみたいと思ってます。

今回はその1回目。

2014年10月末、ぼくはバングラデシュ(以下、バングラ)の首都ダッカにあるシャージャラル国際空港に降り立った。はじめてのバングラ。空港のゲートの外には人がひしめいている。異国に来たなあと実感する瞬間だ。

ここバングラには、ビジネスで貧困問題に取り組むためのヒントを得ようとやってきた。ビザは2か月間。うち予定が決まっているのは最初の1週間だけであとは何も決まっていない。とにかく日本であれこれ考えても仕方ないから、現地に来て動けるだけ動いてみようと思った。

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この地に来る前、ぼくは4ヶ月間、マザーハウスという会社でインターンをしていた。マザーハウスは、バングラに自社工場をかまえ、そこでレザーやジュートのバッグなどをつくっている会社。インターンの最後に念願だったバングラにある自社工場行きが実現した。

このマザーハウスの現地スタッフであるムンナさんが空港まで迎えにきてくれていて、その車に乗って工場近くにある社員寮を目指す。ぼくは1週間、そこで寝泊まりしながら工場に通う。

彼には本当によくしてもらった。毎晩とりとめもないことを話しあった。お互いの家族のことや、仕事のことなど。彼からは今の仕事に誇りをもっていることが伝わってきた。自分の仕事によって家族を養っていることがうれしいのだという。

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空港から社員寮への道中、ぼくはバングラの壮絶な交通ルールを目の当たりにした。いや正確に言うなら、交通ルールが存在しないことを目撃した。車はクラクションを常に鳴らして追い越しを虎視眈々と狙っているし、車線は守らないし(ヤクザなドライバーだと逆走もする)、バスの上やトラックの荷台に人はのってるし、過積載という言葉はもちろん存在していないし。

加えて、バングラは最貧国とよく言われるが、たしかに車の年季の入りかたがぼくの人生史上、最強レベルであった。

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さて話を戻そう。

次の日、さっそく工場へ。初日は、各セクション(例えば、革を裁断する、縫製する、製品を検品する、など)のテーブルをまわって説明を受けた。ぼくにとっては、バッグづくりの各プロセスを理解するまたとない機会なわけだけど、働いている彼らからしてみれば仕事がその分止まってしまう。そもそもぼくという存在が「Who are you?」という感じなわけだから、このときは彼らとぼくの間にあたりまえだけれど距離があったと思う。

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この距離がうまったのは(少なくともぼくがそう感じたのは)、ぼくが生産ラインの中に入って彼らと一日中仕事を一緒にした後からだと思う。ぼくが手伝えるところというのは本当に限られているのだけど。

ぼくがお手伝いさせてもらったのは、製品の検品の中の一工程。製品の表面に残った接着剤を除去するという作業。

縫製する前に素材と素材をくっつけ縫製しやすくするために接着剤が使用される(というのがぼくの理解である。間違っていたらごめんなさい。)。その接着剤が製品の表面に付着したままになっていることがある。それを取り除くのに使うのが、千枚通しのような道具(はさみの奥側)である。

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実際にどうするのかというと、とがった先に少量の接着剤をくるっと水あめのように巻きつける。それを製品の表面に付着した接着剤にくっつけてからめとる。接着剤と接着剤がくっついて驚くほどきれいに取り除くことができる。細かく根気のいる作業である。

この日を境にぼくらの距離は縮まった(と思う)。ほとんど言葉が通じない中(工場の中で地位の高い人以外は英語がほとんど話せない。そしてぼくはベンガル語が話せない)、数日ではあるけれど大変な作業を共有した同志としてぼくのことを受け入れてくれたのかもしれない。立ち作業中に椅子をすすめてくれたり、ランチタイムだから作業を止めるよう促してくれたり。優しさと気遣いを感じた。

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こんな細かい作業を最終段階でしているなんて思いもしなかった。東京でお店に並べられているバッグを見てただけでは決して知りえなかったことだ。おかげで、今はバッグを見ると一緒に作業をした人たちの顔が自然と浮かんでくるようになった。